おそろしい女だと思っていた。
そして すばらしくたくましい女だとも。

けれど 恋人の名を呼んで縋るジャンヌに声をかけ その肩を掴んだ時 
振り返ったその顔は狂気に満ちていた。

それに怯んで後ずさりした隙にジャンヌは身を翻しテラスへと逃れた。
何とか助けようとしたが 彼女は身を躍らせて悲痛な悲鳴をあげて転落した。
ふわふわとした真っ白な意識の中 アンドレの大きな手がわたしを掴まえて現実に引き戻した。
隊員達を守らねば。必死に声を上げて避難するように叫んだ。

「オスカル!ふせろ!」
アンドレの声に反射的に身をふせた。
すぐに彼が覆いかぶさりその直後 凄まじい爆風が駆け抜けた。
風が収まるとアンドレは身を起こし、すぐにわたしの全身を確かめた。
「怪我はないか」
頭がまだ少し クラクラしていたがたいしたことはない。
「ああ 大丈夫だ。どこも痛くない」
「良かった」
安堵の声を漏らすアンドレを見やると 頬から血が垂れている。
「アンドレ おまえこそ怪我をしているではないか」
よくみれば他にも首筋や耳からも出血していた。
「はは… こんなのかすり傷だ」
アンドレはそう言うと自分でハンカチを出して拭った。手伝おうとすると
「おれのことより 隊員達をまとめないと」
言われてはっとした。自分は今、近衛の連隊長として勤務中なのだ。

"そうだ わたしが落ち着かなくては"

クイッと襟を締めた。 

サベルヌの屋敷は粉々で ジャンヌとニコラスの遺体は目を背けたくなるほどだった。
ロザリーに形見の品でもと思ったが 適当なものは何もなかった。
テキパキ命令を下し、事件の後始末をすませ、ジャンヌ達の埋葬を地元の人々に託し、
数日後にはベルサイユに向けて出立することが出来た。

オスカルは馬上、真紅の近衛服も颯爽と隊を指揮し軍を進める。
その姿はアンドレ以外の者にはいつもと変わりなく見えた。
昼間はいい。隊長としての職務に意識を向けることが出来るのだから。

だが…

夜になるとジャンヌの悲鳴がオスカルの頭の中に木霊した。
そして狂気の目をしてニコラスの名を叫ぶ女が、見る見る広がる血の海の中 
ドレスが血に染まるのも構わず愛しい男を抱きしめていた。

たくましくて ずるいがしこい女だと思っていた。
法廷でどんなに追い詰められても逃れる術を探し諦めなかった。
大胆でたくましく怯むことなく戦っていた。

それなのに…

ニコラスの死に遭遇して正気を失った。彼を愛していたとは知らなかった。
彼を利用しているに過ぎないと思っていた。
それにたとえ愛していても あのおそろしい女がこんなことで気が狂うなどとは理解しがたかった。

"愛とは そんなにも 人を狂わせてしまうのか あのジャンヌが…"

かつて フェルゼンはオスカルに言った。

『だから わたしは一生だれとも 結婚しない!!』

彼は望めばどんな女性も引きつけずにはおかないほど 恵まれた資質を持っている。
それなのに 苦しい恋に身を焦がしたあげく 命の危険さえある戦地に赴いた。
生きて帰ってきてからも 彼は恋を諦めることが出来ず 夜の闇を彷徨い逢瀬を重ねている。

何故? どうして? そんなに苦しむ?

わからない わからない わからない 

わたしもフェルゼンを愛している。けれどわからない。
わたしなら 愛する人を戦場に送らなければいけないような恋はしたくない。

でもそれはわたしが片思いだからそう思うのだろうか?
想い合う恋人同士ならそうではないのか?

ニコラスはジャンヌに愛されるためなら 何でもやる男だった。
彼自身がたいした事を考えつかない事はわかっている。
すべては愛した女の言いなりであったに過ぎない。

アイシテイレバ ドンナコトデモシテシマウノカ

愛は狂気に満ちている。

上手く利用しているようでも いつの間にかその狂気に取り込まれてしまうものなのか?

ジャンヌは自分の為に何でもするニコラスをいつから愛していたのだろう?
もしかしたら ずっと愛している自覚がなく 
その死を目の当たりにして 気がふれるほど愛していた自分を露見したのかもしれない。
それでも、彼女自身はそうとは気づかず、
受け止めきれない彼の死をごまかすために 金銭へと意識をむけたのだろうか?

わからない わからない わからない

わたしには 愛するということがわからない。

「眠るんだ、オスカル。ベルサイユはまだ遠い」

わざと声に出して自分に言い聞かせ、目を瞑る。

だが、すぐにハッ!と目を開けた。
瞼の裏に どうしてもジャンヌの狂気に満ちた顔が浮かんでしまうのだ。

耳の奥で彼女の高笑いが聞こえる。

『はっはっは やっぱり女だねえ
センチメンタルに なんぞ なってるから
ドジをふむのさ!』

そして、ジャンヌの断末魔の声。

『キャァァァァァ…』

オスカルは両手で耳を塞ぐ。

自分がしっかりしていれば ジャンヌを助けられたかもしれない。
それなのに 隙を見せてしまい 最終的には ジャンヌもニコラスも死なせてしまった。
そのうえ、近衛の隊員達まで危険な目に会わせたのだ。

"もしアンドレがきてくれなかったら わたしは死んでいた"

『はっはっはっ やっぱり女だねえ』

そうなのか?わたしが女だから しくじったのか?

でも分からない わたしが女だと言うのなら  何故 わたしには女の心が分からないのだ?

アントワネットさまのように ジャンヌのように 
共に地獄に落ちてしまうかもしれないのに 
道連れにしてしまうとしても愛さずにいられない気持ちがわたしにはわからない。

体が震える。わたしもいつか そうなってしまうのだろうか?

そんなのは 嫌だ!

そうなるくらいなら 女になんかならなくていい!

愛する人を苦しめるくらいなら 恋などしなくていい!!

『それとも あなたに女の心をもとめるのは 無理なことだったのでしょうか…?』

ビクン…

ソレデイイノカ?

コイガナニカ ワカラナイママ?

ワタシハ コノママ オンナニモ オトコニモ ナレズニ イキルノカ?

グルグルと出口のない 闇の中で考えは堂々巡りを繰り返す。

いや…

考えれば考えるほど らせん階段を下りるように 深淵にむかって 落ちていくようだ…
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