こうして フランス軍が戦い、増強を進める一方、
法整備と経済活動も活発に行われていた。
新しい卸売市場が建設され 街路はより清潔になり
大通りは整備され街路樹が植えられた。
こうした動きは自然と商人を呼び寄せ 新しい店舗が立ち並び始めた。
これはパリに限った事ではない各地方都市でも同じようなことが起こっていたのだ。

休耕地は牧草地に代わり 農業組合が作られ その牧草地に家畜が貸し出された。
これらの家畜から生まれた仔はそのまま 貰い受けることが出来た。

炭坑や化学製品をつくる工場なども計画され
数年後にはおおきな利益をあげることになった。

法整備も2年後には普通選挙を行えるまでになり
本格的な民主主義へと移行していく。

ルイとカロンヌ氏とネッケル氏の三人の協力体制は結局12年に及んだ。
その間にフランスはしっかりと基礎を固めることが出来た。

ネッケル氏が体の不調を理由に フランスを去りスイスに帰ることになったのをきっかけに
カロンヌ氏もこの仕事から解放されることを望んだ。

ネッケル氏にはフランス政府から多額の終身年金が送られることになったが 
本当の功労者であるカロンヌ氏には
王の近侍としてのわずかな年金しか与えることができなかった。
ルイはなんとか 彼の労に報いたいと 自分の所有地に彼のための屋敷を作り与えた。
「すまない あなたは本当はネッケルよりも多くをもらってしかるべきであるのに。」
「いいえ、陛下わたくしには十分でございます。
残りの半生、静かに暮らせることが私の望みでございます。
それには十分過ぎるものを頂きました。」
「何か ないだろうか?わたしに出来ることは。」
カロンヌ氏は 王を慈愛を込めた目で見つめた。
本当に欲しいものはもう無いのだ。
王と共に自分は自分の夢をこのフランスに実現できたのだ。望みはもう叶っている。
けれど 王の気はそれではすまないのだろう。

ふと、カロンヌ氏は思いついた。
「陛下ならば お願いがございます。一度気球に乗せていただけませんか。」
「気球か…」
ルイは嬉しそうな顔をした。それは革命前カロンヌが財務総監だった頃のことだ。
ベルサイユ宮殿から気球が飛び立ったことがあった。
空高く舞い上がるそれをあの時二人は見つめ、
迷信に囚われた時代が終わり、科学の世紀がやってくることを予感したのだった。

さっそくリヨンからジョゼフ・ド・モンゴルフィエが呼ばれた。
「陛下。あの時は陛下を空にお連れすることが出来ませんでしたが、
あれから改良を重ね 此度は自信を持ってご乗船いただくことができます。」

三色旗をもとにデザインされた気球には大きく「エティエンヌ」と書かれていた。
かつて ともに気球の研究をしたモンゴルフィエの今は亡き弟の名である。

火がたかれ 大きなバルーンの中に熱が溜められる。
籠の中には数人が座れる回廊席が設けられていた。

ルイとカロンヌ、それにルイ・ジョゼフとルイ・シャルルが乗り込んだ。
「本当に大丈夫なのですか?」
アントワネットは今にも卒倒しそうな顔をして尋ねた。
「心配にはおよびません。もう幾度も人を乗せておりますから。」
そうモンゴルフィエは請け合ってくれたが なおも心配していた。

「行ってきます。母上、姉上。」
すっかり成長し逞しい青年になったルイ・シャルルは 
体の不自由な兄ジョゼフをしっかり支え女性達に笑顔を見せた。

モンゴルフィエがロープとバルブを操り 上昇を始めた。
地面から離れ始めると 二人の青年は
「わぁ!」
と歓声を上げた。

ぐんぐん高度は上がっていき パリを上空から見下ろすという
かつてない体験に一同はしばし言葉を忘れた。
ただモンゴルフィエだけが あちらこちらを指差し説明をしていた。

「父上凄いです!いつもは見上げるばかりだったノートルダム寺院が
あんなに下に小さく見えます。」
「あっ 兄上、あれは鳥ですよ。我々と同じ高さにいます。」
きゃっきゃっとはしゃぐ若者達をルイとカロンヌは微笑んで眺めた。

やがて 気球はパリ上空を離れ ベルサイユ方面に向かって南下していった。

途中緑の牧草地が広がっていて 牛がポツンポツンと草をはむのが見えた。
青々とした麦畑では 作業中の農夫が国王一行に気付くと 
帽子を脱いで 胸に手を当てて深々とお辞儀をした。
「おーい 親父さん!調子はどうかね!」
ルイが呼びかけると 農夫は
「万事順調でごぜぇます!王様!」
と手を振りながら答えた。

「万事順調か いい言葉だ。」
ルイは満足そうに言った。
「ええ 本当に。」
「そなたのおかげだ。カロンヌ。」
カロンヌ氏は王の言葉に微笑んだ。
「わたしのしたことなど、たいしたことではないのでしょう。
いいえ、人ひとりの力など所詮は微々たるもの。
この王国に広がる 一本の草と変わりますまい。
なれど ご覧ください。
その一本一本が集まって こんなにも美しく豊かな国を形作っております。」

風が牧草地を渡っていく。
かつて見た海の波のようにうねりながら。
「かつて そなたはわたしを宮殿から解放してくれたことがあった。
シェルブールへの旅のことだ。」
それはカロンヌ氏が提案した海軍視察の旅の事である。
革命前なかなか宮殿を離れることがでなかったルイが
戴冠式の時、ランスに旅して以来の地方行幸であった。

この旅でルイは素朴な地元の人々と行く先々で
ふれあい人民の王たる喜びをかみしめたのだ。
ルイのために花がまかれ 恥ずかしげにひとびとがルイに握手や接吻をもとめ 
ルイはそれに気軽に応じた。
人々の訴える窮状に耳を傾け 多額の寄付や恩赦を与えた。

ある町では遠くからルイを涙を浮かべて見つめる娘に出会った。
ルイは彼女をそばに呼び優しく声をかけたのだ。
「どうしたのかね?」
「お情け深い おうたいしでんか。あたしはどうしたらいいのか、分からないのです。」
泣き出してしまった娘の涙をルイは拭いてやった。
「あたし 結婚していないのに 子どもができてしまいました。
母さんはそれを許してくれません。
どうか おうたいしでんか この子をお救いください。」
ルイは娘が呼称を間違えたことなど少しも気にせず 答えてやった。
「そなたのしたことは 確かに悪い。けれど子を思う気持ちは当然だろう。
だからわたしが帰りにここを通る時までに 結婚式を挙げておきなさい。
そうすれば、そなたの持参金はわたしが出してあげるから。」
娘は涙いっぱいの目で王に感謝の意をあらわした。
はたして娘は夫婦の誓いを教会で立て王が通るのを待った。
ルイは約束を果たし 娘の前途を祝した。
こうして娘は安心して子供を産むことができたのだ。
これに感動した旅籠の主人は旅籠の名前を「幸運亭」と改め、
ルイのこのエピソードを 人々に話して聞かせるようになったのだ。

「あの旅でわたしはこの国を形作る名もない草一本一本が 
わたしと同じ命であり 愛おしいものだと実感したのだ。
あの日わたしはこの草たちとともに生きようと決めた。」
「はい、わたくしもそう承知いたしました。
だからそのための国作りをいたしました。」
「見えるか。カロンヌ。この眺めがその答えだ。」
「ええ、陛下。わたしはこれが見たかった。
この豊かによみがえったフランスが見たかったのです。」

それは本当に素晴らしい眺めだった。
生い茂る台地の恵の向こうに 人々の営みの証の煙突の煙が上がっている町が見える。
餓えた人々はもういない。明日を信じて笑い合う人々がここにはいた。

気球がゆっくりパリへの気流を掴んだ。
帰り始めた気球の中でカロンヌ氏は風に白髪を靡かせていた。
「忘れません。陛下。この眺めを。名誉などこれに比べればなんの価値がございましょう。
わたくしの名など残らなくていいのです。
それよりわたしはこの眺めを手に入れたことの方が嬉しいのです。
わたくしも名もなき一本の草として 生き死んで逝きましょう。」

気球は無事テュイルリー宮殿に帰還した。
カロンヌ氏は翌日ルイが用意した屋敷に引っ越しそこで余生を送った。
名もなき一本の草でも良いと思っていたカロンヌ氏であったが 
のちの歴史家はカロンヌ氏と同時代人の回想録や歴史書の中から 彼を見つけ出した。
散りばめられていたパーツを丹念に拾い集め カロンヌという人間の姿を浮かび上がらせたのだ。
ルイ16世と共に フランスの危機を救い 今日のフランスの基礎を作った男として。

けれどこれらはまだまだ先のこと。話を1789年12月に戻そう。
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