ボナパルトは グランディエ将軍の部屋の前でまだ迷っていた。
トゥーロンの情勢は芳しくない。ボナパルトにはこの状況を打開する自信と作戦があったが
無能な上司にことごとく潰されていた。新たに応援にきたこの将軍ははたして使えるのか。

グランディエ将軍の評判はいまひとつであった。
凡庸な才覚しかもたない事はこれまでの実績が物語っている。
しかし、彼の細君である"バスティーユの女神"は大変な才能の持ち主である。
今はもっぱらこの妻の補佐としてグランディエ将軍は働いている。

本来なら彼女に直接作戦を進言したいのだが 到着が遅れている。事態は一刻を争う。
グランディエ将軍はロベスピエールとも親交がある。
今国民公会から派遣されているのは ロベスピエールの弟だ。
うまくグランディエ将軍を説得できれば彼から口をきいてもらえるかもしれない。
しかしグランディエ将軍にこの作戦が理解できるのか。他の連中と同じなのではないのか。
迷っていても仕方ないと思い ボナパルトはドアをノックした。

「入れ」
部屋の中には 中肉中背の冴えない男がいた。

これがグランディエ将軍?

ボナパルトは少なからず驚いた。
この将軍はもとは"バスティーユの女神"ことミシェル将軍の従僕だったと聞いている。
それが革命がおこり主人である女伯爵と結婚したのだ。
いかに革命下とはいえ 自分の召使いだった男と結婚を決意させるのなら 
それ相応の魅力ある男性であろうとボナパルトは思っていたのだ。
軍事の才覚がないのなら女性好みの色男だと。もともと従僕という職業は見た目の良い男の仕事である。
ミシェル将軍も天才的軍人とはいえ女だ 色男には弱いのだろう。
今目の前にいる男はなるほど 自分よりは背が高く不細工ではない。
けれどこの程度の男ならパリにはごろごろしているだろう。とても美貌の女主人を落とせるほどではない。

「要件を言いたまえ」
言われてボナパルトはここへきた目的を思い出した。
「実は将軍に聞いていただきたい作戦があります。」
ボナパルトが持参した地図を広げると いくらも話さぬうちに
グランディエ将軍は作戦の本質を正しく理解した。驚いたボナパルトは思わず
「失礼ながら これほどおわかりいただけるとは思いませんでした。」
「はは 本当に失礼だな。」
「すみません。今までなかなか理解していただけなかったものですから。」
「おれは これでも士官学校をでているんだよ。しかも砲兵科だ。」
「自分もです。では先輩だったのですね。」

ボナパルトは緊張が解れて行く気がした。その後のグランディエ将軍の行動は素早かった。
各方面に説明と説得を行い 必要な人員 資材 武器の手配を行った。
ボナパルトは将軍と共に行動しながら なるほどミシェル将軍の補佐だけの事はあると見直した。
彼は事務方が向いているのだ。やがてミシェル将軍も援軍を引き連れて到着し 事態は一気に好転した。
大変な戦いではあったがボナパルトの作戦は大成功し彼は准将に昇進した。

グランディエ将軍とおよそ一か月ほど共に戦ったがボナパルトには腑に落ちないものがあった。
どうにも釣り合わない気がするのだ。到着したミシェル将軍を見た時の衝撃は今も心に残っている。
信じられないほどの美貌だった。まるでギリシャ神話の女神が現れたかのようだった。

もう34才になるというのにだ。いやむしろ若い娘達より円熟した大人の色香が感じられ魅力的だ。
その上きりっとしたたたずまいは清廉な美しさをも彼女に与えていた。これほどの女性がいたなんて。
それなのにこの魅力的な人の夫は少しばかり事務ができるというだけの 平凡な男なのだ。
あまり釣り合わないので もしかしたらミシェル将軍が人気取りのために 
あえて平民の財産も持たない男と結婚したのかとも思ったがそうでもないようだ。
ふたりは本気で愛し合っているらしい。
もちろん軍でイチャイチャすることはないのだが 
ふたりの間にながれる信頼感はそれ以上に雄弁にふたりの愛を証明していた。

ボナパルトは思い切ってグランディエ将軍に訊いてみることにした。
「グランディエ将軍 少々個人的な事をお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ あらたまって」
将軍は人懐っこい笑顔をみせた。
「どうやって ミシェル将軍を口説いたんです。」
「ふふ ずばりきたね。やっぱりおれとミシェルでは不思議だよな」
「いえ あの まあ」
「いいよ よくいわれるし。でもおれ自身にもわからないよ。たぶんミシェルにも。
おれ達はちいさな頃からずっと一緒でそのままなんだ。もういるのがあたりまえで。
強いて言えば おれは運がよかったのさ。」
にこっと笑うグランディエ将軍はしあわせそうだった。

ボナパルトは思う。もしそうだとしても革命がおきなければふたりは結婚などできなかったろう。
自分も准将になど昇進することもなかった。時代は変わったのだ。実力と運しだいでは立身出世も叶う。
平凡な男でも今まで高嶺の花だった女性を手にいれられるのだ まして自分なら。
いつか素晴らしい女性と素晴らしい恋をしよう。
ミシェル将軍のような素敵な女性と心の通い合う幸せな恋を。
若いボナパルトは空を見上げた。
この空の下のどこかにきっと運命の人はいるのだ。

FIN

web拍手 by FC2
アンドレ・グランディエ    あとがき
inserted by FC2 system