ルイがベルサイユを出発したのは 午前10時ごろであった。
アントワネットはもうすでに夫は無事に帰ってこないのだろうと 覚悟をしていた。
「どうして 死ぬと分かっているのに 行かれるのです?」
最後の最後までアントワネットは夫を止めようとした。
「わたしは王であるのだから 行かないわけにはいかない。」
「まだ、間に合います。ここは一度メスまで引いて 軍隊を呼び戻しましょう。」
必死に言いつのるアントワネットにルイは
「国民は我が子同然なのだ。
あなたはルイ・シャルルが聞き訳がないからと 殺してしまえるのか?」
そう言った。

"ああ ダメなのだわ この人は何も分かってはいない 何も…"

アントワネットはただ 涙を流して 夫を抱きしめた。もはや、何を言っても無駄だと悟った。

ルイが出発すると アントワネットは自室で 演説の原稿を書き始めた。
王にもしものとき、自ら国民議会に出向き議員に訴えるためである。

「わたし達家族は 天が一つにされたものです。それを引き離すなど許されないことです。
パリがわたくし達の 夫であり 父である 王を返さないことがあってはならないのです!」

書きながらもアントワネットは 涙を流さずにはいられなかった。

"ああ どうして こんなことになってしまったのだろう"

まだ 十分戦えるはずであったのに 王は軍を引いてしまった。

ふと、こんなことなら ポリニャック夫人と逃げてしまえば良かったのかと考えた。

"けれど、王の無い 王妃など 何になるのだろう…"

アントワネットは後ろ向きになる心を奮い立たせ 原稿を書きあげた。
静かである。誰もアントワネットの私室を訪ねては来なかった。
皆、遠慮してくれていたのだ。けれど アントワネットはそう感じなかった。

"見捨てられてしまったのだわ。"
あれほど 自分を取り巻いていた人々はもういない。

オスカル…

彼女はどうして わたしを裏切ったのだろう。
自分は最大限の友情を示したはずなのに。

『フェルゼンはかならず アントワネットさまのおそばにまいります。』

最後に会った時そう言ってくれた。その胸で泣かせてくれた。
けれど 彼女は裏切り 結果 今日、王は死地に赴くことになってしまったのだ。

「どうして…?オスカル…」

アントワネットには彼女の行動が理解できなかった。
今だけではない これまでもオスカルの言動には分からないことが沢山あったのだ。
他の取り巻き達が喜んでくれることも 彼女だけは眉をひそめることがあった。

それでも 彼女はいつも 自分を守ってくれた。フェルゼンの事も 首飾り事件の時も 
三部会の行進の時、冷ややかな視線のなか 
警護をしてくれていたオスカルだけが 好意を向けてくれたのだ。

『フェルゼンはかならず アントワネットさまのおそばにまいります。』

オスカルの言葉が甦る。

本当にフェルゼンはきてくれるのだろうか…
自分を裏切ったオスカルの言葉であるはずなのに 
それだけが 自分を支える 唯一の希望になっているなんて 
なんて 皮肉なことなのだろう。
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