約束の日 一同はそれぞれ 別々に ベルサイユの屋上を目指した。
見とがめられずに進入するのは さほど難しい事ではなかった。

むしろあまりの人気のなさに オスカルは衝撃を受けた。

これがあのベルサイユ宮殿なのか?
ヨーロッパ一と謳われたあの宮殿なのか?
ポリニャック夫人も亡命したと聞いている。
アントワネットさまはどうしておられるのだろうか?
人一倍寂しがり屋のあの方は?

そんな物思いに囚われながらもオスカルは周りを伺いながら
ベルナールとカミーユを連れて 先に進んだ。

屋上にはすでに アンドレとアランの案内で ロベスピエールとサン・ジュストが到着していた。
やがて ラ・ファイエット候もリオネルと到着し陛下が来るのを待った。

陛下は小太りの体に似合わず 軽やかに屋上に姿を現した。
ラ・ファイエット候が進み出て お辞儀をする。オスカルもそれに続いた。

リオネルとアンドレ、アランはこの一団から少し離れて 周りを警戒する。

「よく生きていてくれた オスカル。」
ルイはオスカルの手を取り 涙ぐんだ。
「王妃もジョゼフも どんなに喜ぶか。
彼らにあなたの無事を知らせてやれないのが辛いのだが。」
「陛下 わたくしを許して下さったこと 深く感謝いたします。」
「あなたはもともと 何も悪くはないのだから。
むしろ、許してほしいのはそこまであなたを追い込んでしまった わたしの方だ。」
「もったいないお言葉でございます。
本日はその寛大なお心に甘え 参上いたしました。」
「あなたの手紙は読みました。これがわたしから カロンヌへの手紙だ。
そしてこちらはジェローデル大佐の特赦状だ。」
2通の王家の紋章入りの書状を 傍らのラ・ファイエット候に差し出す。
候は大切にそれをしまった。

「陛下 手紙でも申し上げましたが、
この計画の成功には 民衆に我々の真意を代弁してくれる者達が必要でございます。
どうかお言葉をおかけください。」
ルイは頷くと オスカル達から数歩下がったところで控えていた
ロベスピエールたちのもとに自ら近寄った。

「ロベスピエール あの日の君の演説は今も憶えている。
あの時わたしは20歳であなたは17歳であった。」
「ぼくもあの日の事は憶えております。
しかし、ぼくはあの祝辞を後悔し始めているのです。」
ラ・ファイエット候が気色ばんで 何か言おうとするのをルイは手で制した。
「ゆえに 今一度 あなたがどんな人物なのか 教えていただきたいのです。
あの日のぼくの言葉をもう一度あなたに捧げるために。」
「ありがとう もう一度 わたしにチャンスをくれるというのだね。何でも答えよう。」
「では、陛下。8月4日に採択された法案をどう思われますか?
もうお手元に届けられていると存じますが。」
「国民議会はわたしにそれを無条件で承諾させようというのだろう?
それなのにあなたはわたしの意見を聞いてくれるのかね?」
「ぼくは今 国民議会議員としてではなく一個人としてあなたを試しているのです。」

「王を試すとは無礼な!」
ラ・ファイエット候がカッとして剣を抜こうとするのを オスカルがすばやく止めた。
候が剣から手を放したのをちらりと見てルイは話し始めた。

「あの法案にはいくつも不十分な点があるが 
もっともおおきな欠点は2つある」
この言葉に カミーユとベルナールは共にメモを取り出した。
「まず、フランスが各国と結んだ国際条約に抵触するおそれがある。」
王は二人の記者がメモを取り始めたのを見てペースをややゆっくりにした。
「たとえば ローマ教皇に収められる聖職禄取得献納金の廃止。
これをローマ教皇の同意なしに行えばどうなるか?」
「われわれは 自由な国を目指しています。
ローマ教皇からの隷属も断ち切るべきではないでしょうか?」
「それはこちらの理屈だ。考えてもみたまえ。
今まで 散々世話をしてやったと思っていた貸家の住民が
『気が変わった。今日からここはおれの家だ。もう家賃も払わん。』と言い出したらどうなるか?」
「それは たとえに過ぎません。国家とはそのようなものではありません。」
「そうだ。国家とはそのようなものではない。
このたとえなら個人の喧嘩で済みましょうが 国家であれば」
ルイは一度言葉を切り 力を込めてこう言った。

「国家であれば 戦争になります。」

屋上に一陣の風が吹く。空を覆っていた雲が切れ始め 天から行く筋かの光が地上に降りた。
ロベスピエールの目にその一つが王にかかるのが映った。
「今の国情を考えれば 絶対に戦争は避けるべきでしょう。
さらにこの案では聖職者達の反発を呼ぶのも確実です。
我が国はほとんどがカトリックなのだから。
彼らは父のような存在のローマ教皇に嫌われるのを辛く思うだろう。」

ルイの目は優しい。

「また、地代などの封建的特権の廃止については無償ではなく 
農民が領主から買い上げることになっているが 
これでは金持ちがより多くの土地を所有することになりはすまいか?
そうなれば貧しい者は何も利益を得ないばかりか 仕事を失うことになるだろう。
領主にはその土地に住む領民を守る義務があるが 新しく所有者となった者はそれがないのだから。」
この点についてはロベスピエールも気づいていた。
国民議会は比較的裕福な者が多い。
本気で貧しい人々のことを思いやるものがどれだけいるだろうか。

オスカルが静かに言い添えた。
「陛下はすでに王領内の農奴身分を廃止しておられる。
また、陛下がカロンヌ氏と作られた改革案でも 
陛下がいかに平等な精神を持っておられるかがわかるのではないか?」

ロベスピエールも そしてベルナールも カミーユもそのことは実感していた。
本当のことを言えばそれを知っていたので 王に会う気になったともいえるだろう。
あの改革案の本質を正しく三人は理解できるほどの教養と 
既成概念にとらわれない公正な目を持っていたのだから。

「だけどね。机上の空論に過ぎなかったじゃないですか。」
それまで黙っていたサン・ジュストが鋭く切りつけるように言い放った。
「そうだ。わたしにはそれを断行する力がなかった。
民衆に理解してもらうすべも持っていなかった。
だから あなた達にお願いするのだ。フランスを救ってほしいと。」
ルイは頭を下げた。

これにはさすがに サン・ジュストも驚いた。
彼には無名の(いや、オルガンのエロ作者としては一部で有名人だが)若者に過ぎない自分に 
王が頭を下げるなど信じられないことだったのだ。
貴族とは常に傲慢で無能で やたら権力を振りかざすだけの害虫に過ぎないと信じていた。
ましてや王はその象徴だと。贅沢な宮殿に住まい、民衆の血肉を平気で貪る悪鬼であると。

けれど 目の前の王は 民衆の為に頭を下げ 民衆のことを思いその知恵を使うのだ。

とても 悪鬼には見えない 穏やかで優しい瞳で

民衆を 助けてほしいと

思わずぐらついてしまう心を守るかのように サン・ジュストはルイから目をそらした。
「ぼくは 先生に従うまでです。ロベスピエール先生に頼まれるのが筋でしょう。」
ルイは微笑んでロベスピエールの方を改めて向いた。
「ではロベスピエール、そして ベルナール カミーユ 力を貸していただけるだろうか?」
「あなたに貸す力はありません。」
ロベスピエールが答える。
「しかし、民衆のため フランスのため 世界に理想の民主主義を打ち立てるためになら 
ぼくは全力を尽くします。」
ルイの手を取る。
「陛下とともに 戦うことがそうであるならば。」
「うん…」
ルイもその手を握り返す。その二つの手の上にベルナールの手が カミーユの手が重なる。
さらにラ・ファイエット候とオスカルの手が重なるのを 
周りを警戒していたアンドレとアラン、リオネルは 晴れやかな気持ちで見つめた。

いつの間にか空は晴れ渡り 初秋の涼やかな風がベルサイユの上に吹いていた。
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