「陛下…」
プロバンス伯がいなくなると オスカルは声をかけた。
ルイに会い来たのだが、声をかけそびれていたのだ。

「オスカルか…」
驚く風もなく ルイは悲しげな眼を向けた。
「彼の言ったことは正しい。わたしは王の器ではない。」
「わたくしはそうは思いません。」
「ありがとう オスカル。
あなたの信頼に応えるべく出来る限りのことはするつもりだ。」
空には月がかかっている。その光を雲が遮り、ルイの顔が見えなくなった。
その闇の中から 小さな声がする。

「わたしは王の才覚ではないが 王以外に何になれるというのだろう。
王だから 愛される。弟の言う通りだ。
父が死んでからは 王太子だから 王だからとずっと言われ続けてきた。
それに応えなくてはと思うのに わたしは応えきれなかった。
皆が求める王にもなれず、かといって他に何者であるかもわからない。」

沈黙が続く。オスカルには何も言えなかった。
それは自分も同じ思いをした事があるからだ。
結局その答えをオスカルは見つけられなかったのだ。

「母はわたしを愛してはいなかった。
どんくさい不器用なわたしより 才気あふれるスタニラス(プロバンス伯)や
明るいシャルル(アルトワ伯)の方がお気に入りだったのだ。
わたしは家庭教師に見張られ育つしかなかった。
妻とも王だからと 愛ではなく義務で子をなしたのだ。
つまり 一人の人間としては もはやわたしを愛するものはいないのだと 言うことだ。」

雲が晴れて お互いの姿が見えるようになると ルイは驚きに目を見張った。

「何故 あなたが泣いているのだ オスカル。わたしを憐れんでいるのか?」
「いえ、いいえ、陛下。申し訳ありません。わたくし事を考えておりました。」
「あなたの 私的な事?」
オスカルは 堪えきれず 漏れ出すように話し始めた。

「わたしは始め自分を男だと思い過ごしておりました。
父がほかの姉妹より自分を大切にするのは 跡取りの男子だから当然と感じておりました。
けれど ある時、わたしは自分が実は女であると気付いてしまったのです。
その時から、自分が分からなくなりました。
もし、父にこのことが知れればわたしの価値はなくなってしまう。
わたしは父が期待するような男でなければならないと 強く意識するようになりました。
いつもビクビクしていました。身近に手本となる男の子がいなかったことが 
わたしの不安を増々大きくしました。
何かする時も 強い男の子はどのように振る舞うのだろうと考え 行動しようと躍起になるのですが 
分からないので いつもイライラしていました。

そのうち、自分が何をしたいのか 何が好きなのか そんなことさえ 分からなくなりました。
自分が無くなり 父が期待するであろう男子像を求めて
得られない苦しみに囚われていったのです。

それでも表面上は勝気で明るい少年を演じ、
物わかりのいい子と周りに思われたいと無理をしていたのです。
あのままいけば いずれわたしは 不安を抱えきれなくなり廃人になったかもしれません。」

「アンドレだね。あなたを救ったのは。」
「はい…」
「分かるよ。わたしも彼には救われた。」
「アンドレはわたしをまっすぐ そのまま受け入れてくれました。
わたしが男であっても女であってもそのまんま。
彼自身も素直に感情を出す子でした。
わたしは男のくせにビービ―泣いて 逃げ出す彼に初めはとても驚いたものです。」
ふふふ…二人は顔を見合わせて笑った。

「どんな自分もアンドレが受け止めてくれるので わたしはしだいに自分を取り戻しました。
感情が返ってきたのです。楽しい時に笑い 哀しい時に泣けるようになりました。
彼が来る前は 今はどう振る舞うべきかが先で 
自分がどう感じているかなど問題にもなりませんでした。
ここで泣いてないとおかしいと思われるだろうか?
それとも涙を堪える仕草の方が父上は好まれるだろうか?
そんなことにばかりに気を取られていたのです。」
ルイはコクンと頷く。

"わたしもそうだ…そして そうすることに諦めと疲れを感じている…"

「わたしは 自分で解決することが出来ませんでした。
だから、陛下をお慰めすることもできません。けれど、陛下!」

オスカルはルイに跪いた。

「陛下! 陛下は立派な王であらせられます。
多くの民が陛下を父と慕っております。
世に啓蒙君主を気取っている輩は沢山おりましょうが 
真に啓蒙思想を理解し 新しい時代を築こうとなさっている君主は陛下ただおひとりでありましょう。
そのような君主にお仕え出来ることに このオスカルは誇りを感じております。」
「ありがとう その言葉は今のわたしにとって何よりの事だ。」
ルイはオスカルの手を取り 立たせた。
「夜も更けた。部屋まで送ってくれるか?」
「はい」

ルイの半歩後ろを歩きながら オスカルは無力感に囚われていた。
ルイの孤独と苦悩をおそらく誰よりも理解しながら なんの力にもなれはしないのだ。

"神よ どうか 陛下にも アンドレのように 全てを受け入れ愛して下さる方をお遣わしください"

冴え冴えと輝く月を見上げながら 祈ることしかできなかった。

しかし、この時ルイは気づいていないだけで 
本当は彼を全面的に愛する者はすぐそばにいたのだ。

その人物は 後年 ルイを看取った後に、このように話している。

「父王は わたしにとって優しい父親であり 尊敬すべき君主でありました。
けれどそれ以上に 人間としてとても魅力的でありました。 
愛情がとても大きく深く、おそらく地球全部を愛せてしまうのではないかと 思えるほどでした。
時に涙し 時に悩み 時に苦しむ人間らしさの中で 
輝くばかりの慈悲深さと忍耐を持って困難に立ち向かったのです。
そこにはまさに ルイという一人の人間の姿がありました。
そんな人間ルイをわたしは愛したのです。」

そのことはルイにも分かっていたのだろう。
王太子ルイ・ジョゼフの手を握りながらルイがこの世に残した最後の言葉は
「ありがとう あなたがいてくれたから わたしはわたしでありえたのです。」
というものであった。

だが、ルイが安らかな眠りにつけるのはまだまだ先である。
神がルイに課した試練はあまりにも多かったのである。

プロバンス伯はこの夜ひそかにイギリスに逃亡した。
もちろん プロバンス伯逃亡の知らせはルイにも届いたがルイは
「黙って行かせてやれ。」
とだけ言った。

だが、これがフランスに大きな災厄をもたらすことになった。

第1次 フランス包囲網の始まりである。
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