マドレーヌはこのお屋敷の跡継ぎレニエさまの乳兄弟だ。
マドレーヌの母マロンは夫を突然の事故で亡くし 乳飲み子を抱えて途方に暮れていた時 
このお屋敷で乳母を探していると教えてくれた人がいた。
わらをも縋る思いで訊ねたマロンを当主夫妻は快く迎えてくれた。
そのうえ自分の子供を預けて働こうとするマロンに
「我が家は代々 自分の手元で子供を育てるならわしになっておる。遠慮なくその子も一緒にくるがいい」
そう言ってくれた。それ以来マロンは恩義を感じ一生懸命働いた。

レニエさまにお乳がいらなくなっても こわれてそのまま女中になった。
今ではお屋敷になくてはならないくらいに重宝されている。

けれど何かも上手くいったわけではない。マロンの子 マドレーヌは生まれつき体が弱かった。
よく熱を出し 咳も出た。恐縮しいたたまれないマロンを当主夫妻は何度もなだめ 
マドレーヌを医者にみせた。医者は二十歳まで生きられないと診断した。
当主夫婦はマドレーヌにその後も治療を受けさせた。
マロンは娘の分もといっそう忠義を尽くし 娘にも
「分不相応の事をして頂いているんだ。感謝しないとね」
そういうのが口癖だった。マドレーヌも何かお役に立ちたいと思うのだけれど 
病弱な彼女に出来ることは限られていた。

マドレーヌの入れてくれたお茶を飲みながらレニエは
門番にもうマドレーヌを外に出さないように言っておこうと思った。

"マドレーヌの気持ちもわからないわけではないが"

目の前でおとなしく お菓子を食べている栗色の髪の少女は
自分が病弱でみんなに迷惑をかけていると気に病んでるのを知ってる。
今日も少しでも役に立とうと野いちごを摘みに行ったのだろう。

"まったく どうしたらいいのか"

レニエは自分が当主になったら マドレーヌに屋敷を与えようと思っていた。
別に愛人として囲うというのではない。ここにいては気を使うからだ。
そしてフランス中 いや世界中の名医を探して治療させようと考えていた。
けれど今はまだ半人前の立場だ。地位もない。

"いっそ 来年の仕官が決まったら もうマドレーヌに小さくてもいいから家を用意するか"

今だとて 自分と同じテーブルでお菓子を食べているだけでも 
申し訳なさそうにしているのを見てそう思った。
けれどそれは実はあまりいい案ではない。
レニエにその気がなくとも世間はマドレーヌを愛人とみなすに決まっている。
まだ妻帯もしていない若い自分が愛人を囲うなどとは批判もでるだろう。
そうすればマドレーヌは気にする。

"しかたない 今しばらくはこのままか"

結局そういう結論にいつもなってしまう。
「美味しいか」
「はい ありがとうございます。レニエさま」
微笑むマドレーヌを幸せにしたいとレニエは思う。
幼い頃から傍にいた。病弱な彼女の傍にいってはいけないといわれても 気になった。
マドレーヌの母親を奪っているんじゃないかという負い目もあった。
ベッドで苦しそうにしていると可哀想だった。
だから彼女の喜ぶ顔が見たくて 何でもしてやりたかった。だから小さな頃こんな質問をした。

「マドレーヌ ほしいものはないか?」
「なんにも いまのままでしあわせです」
「なんでもいってみて」
「なんにも ありません」
「いいから いってみてよ・・・」
母親から言い含められていたはずのマドレーヌに そうとは気づかずずいぶんしつこくしてしまった。

ついに根負けしてマドレーヌは言った。
「健康 健康がほしいです。」
「けんこう?」
目にいっぱい涙をためてそれでも涙をこぼすまいとマドレーヌはしていた。
「けんこうってなに?」
問いかける自分に答えずマドレーヌは走って行ってしまった。後で執事に訊くと
「元気な体のことでございますよ」
と教えてくれた。その時自分はいつか世界中の名医にマドレーヌを見せて 健康にしてやろうと決めた。

"今は お菓子くらいしかあげられないけれど いつか・・・"

そう思う マドレーヌは貴金属やドレスは受け取らない。
お菓子だって自分と一緒に食べるのをつきあってとでも言わないと食べてくれないのだ。

"ばあやがあまり 言い過ぎるからマドレーヌはこんなに委縮してしまうんだ"

痛々しい乳兄弟を守りたい レニエはそう思っていた。

マドレーヌはレニエさまのお部屋からお茶のセットを片づけて下がると自室に戻った。
ほっとした。実はさっきから頭の中はあの若者のことでいっぱいなのだ。
お菓子の味もレニエさまのこともうっかりすると忘れてしまって考えに耽りそうな気がした。

"暖かい 肩だったわ まるでひなたぼっこしてるみたいに"

黒いウェーブのかかった髪 きらきら輝く新緑の瞳 大きな背中 逞しい腕 日に焼けた肌 
どれも生命力を感じさせる力強さに満ちている。
肩に乗っている間 その生命力が自分に流れ込んでくるみたいで 元気になれた。

"けれど 名前も住んでいるところも聞かなかった"

あまりに嬉しくて何もしゃべらなかった。会話はいらなかった ただ彼と一緒にいつまでもいたかった。
次の日 また森にいこうとマドレーヌはしたが 門番は開けてくれなかった。
裏からこっそり行こうかとも思ったが後で門番が叱られてはと思うといけなかった。
それにまた会えるとは思えない。森には何度も行ったが昨日初めて会ったのだ。

"また 会いたい"

マドレーヌは生まれて初めて強い願いを持った。今まで長くない命なにも望むまいと思ってきた。
けれどあの人にはどうしてもまた会いたい そう願わずにはいられなかった。
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