「待って お願いだから 待って」
マドレーヌは自分でもびっくりするくらい早く走った。けれど男はもっと早かった。
みるみる引き離され男は森の中に消えた それでもマドレーヌは森の中に入って男を探そうと思った 
「あっ」
マドレーヌは木の根につまずいた。とたん咳き込み出した。
「ゲホッ ゴホッ ゴホッ ゼイゼハ・・・」
かつてないくらい呼吸が乱れた。苦しくて死んでしまいそうだった。
やはりあんなに走ってはいけなかったのだと思った

"あっ でもこれで楽になれるかしら・・・"

もう負い目や引け目を感じる暮らしは嫌だった。好きで病弱にうまれついたんじゃない 
まして後いくらも生きられないのになんのために生きているのか 
 その時森の奥から猛スピードでかけてくる男がいた。咳き込む声に戻ってきたのだ。
マドレーヌは苦しい息の中 意識は遠くに沈んでしまいそうだった。それでも

"ああ 最後くらい わがままを許して もう一度あの暖かさに包まれて死にたい"

そう思った。彼女を抱き上げた腕は暖かかった。
「しっかりしろ おい!」
男の呼びかけにマドレーヌは目を開けた。そして微笑んだ

"死にたくない"

そう思った そう思うと力が湧いた 呼吸は徐々に落ち着いた。
「今 お屋敷に連れてってやるからな」
男はマドレーヌを抱いて立ち上がろうとしたがマドレーヌは
「待って もうお屋敷には帰らない あなたといたい」
そう言った
「えっ」
男は驚いた顔をしたがマドレーヌは続けた
「愛しているの・・・」
そう言って 琥珀色の瞳から一筋の涙を流した 男は返事の代わりにキスをした。
それはあまりに 暖かく やさしく 包み込むような慈しみにあふれていた。

"まるで太陽に愛されてるみたい"

マドレーヌは体中に満ち溢れる幸福を喜びと共に感じていた

 レニエは森の木漏れ日の中 睦みあう恋人達の姿に 茫然としていた。
もはやどなることも引き裂くこともはばかられる気がした。
結局恋人達の長いくちづけが終わるまでじっとしていた。
やがて 二人がたがいに見つめ合い抱き合うのを見ていられなくて立ち去ろうとして
後ずさった時枯れ枝を踏んでしまった。
パキッという音に二人はレニエを見た。こうなってはしかたない
「マドレーヌ お前がうそをいうとは思わなかったよ」
レニエは自分でも思いがけない嫌な事を言ってしまった。でも止まらなかった
「わたしに何も無かったようなことを言ったくせに」

"なんでこんな言葉が出てくるんだ"

「違います うそなんかついてません 本当に何もなかったんです」
「本当です。俺達はついさっきまでは なにも」

"俺達?"

二人で抱き合いながら言い募る姿はレニエをイラつかせた
「くるんだ マドレーヌ」
「嫌です」
「わがままを言わないで」
レニエはわざと大人ぶって冷静なふりをした。
「いいのかい その男に迷惑をかけても」
マドレーヌは明らかに動揺した。さらにレニエは
「わかってるだろう マドレーヌ お前の体は二十歳まで持たない 
日々のクスリ代も治療も その男に負わすのか そうして弱っていく姿をその男にさらすのか」
マドレーヌは青ざめた。そして自分が恋の炎に燃え上がって現実を忘れていたことを思い知った。
立ち上がり行きかけたその手を男は掴んだ。
「ごめんなさい わたしがどうかしてたわ こんなわたしが恋などしてはいけなかったのに・・・」
マドレーヌは泣きながら
「それでも生きてみたかったの 死んだように暮らすのではなく 生きてるって思いたかった。
それで 寿命がなくなっても 一瞬でも生まれてきて生きていたんだって・・」
男は掴んだ手を引き戻しマドレーヌを抱きしめた
「寿命が無くなっても いいか」
そうささやいた。
「ごめんなさい わたしがわがままでした。」
「そうじゃなくて 死んでもかまわないか 俺の腕の中で」
マドレーヌはなにも答えられなかった ただ甘えるように暖かさに包まれて泣いた。
「さあ もうわかっただろう 離せ」
レニエは業を煮やしマドレーヌを無理やり連れてこうとした。けれど男はその手を払った。
レニエはカッとして男を殴ったが男はこらえた。 
「貴族のだんなさま 申し訳ありません まだ彼女の返事を聞いていませんので」
そういうと泣きじゃくるマドレーヌに
「さあ 答えてほしい 本当に俺を愛してる そのために寿命が縮んでもかまわない?」
やっとマドレーヌは男の質問の意味がわかった。レニエはあせって
「マドレーヌ お前はその男の重荷にしかなれないんだぞ」
そう叫んだ。マドレーヌはビクリとしたが
「俺はお前といられたらどうなっても 幸せだよ」
そう男はたんぽぽみたいに笑った
「本当に?」
「本当だ」
「わたしはすぐに死んじゃうわ」
「いいじゃないか その日まで生きれば いまのままならもう死んじゃってるんだろう」
マドレーヌは男にしがみ付いた もうだめだとレニエは思った
「わかったよ マドレーヌ もう好きにしなさい ところでその男はどこの誰なんだ」
マドレーヌはキョトンとした
「そういえば あなたの名前まだ聞いてなかったわ」
レニエはあきれた 本当にうそはついてなかったようだ。
「とにかく 一度屋敷に戻るぞ もう離れろなんて言わないから」
笑いながらそういうと二人は素直に従った。
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