「さあ、こちらへ」
司祭に導かれ 署名室に入る。小教区名簿に記載するばあやの手が震える。
いつもはハキハキ 年に似合わず機敏なばあやなのだが。
オスカルがばあやの肩にそっと手を置く。
「ばあや 幸せになってほしい。」
ばあやはふっと思ってしまう。

いつもは自分の方がオスカルさまの幸せを祈ってきた。
その大切なお嬢さまは 少し前に自分の孫と二人幸せになってくださった。
その時、自分はもうこれ以上なにかを望むのは 強欲過ぎると思えるくらい幸せだった。
さらに幸せになるのは間違ってやしないだろうか。

「おばあちゃん 耄碌して自分の名前 忘れたの?」
突然頭上から声が落ちてきてはっとした。
「じょ・・・冗談じゃないよ。誰が耄碌なんてしてるもんかい!アンドレ!」
小さな笑いが部屋に溢れ ばあやの震えが止まる。
羽ペンが滑らかに動き 意外なくらい女らしい 柔らかな筆跡が現れた。

皆の署名が済み 再び皆の前に戻った。司祭の祝福、聖歌の合唱があり
最後に司祭が十字架を切り 新郎新婦達と参列者一同を祝福して 結婚式の終了を宣言した。

アルマンがばあやに腕を差し出す。照れ臭そうにその腕に手をかける。
その後ろでナタリーもレモンの腕を借りていた。

光の方へ歩き出す。外はもう昼の一番明るい陽射しに満ちている。
沢山の拍手に送られてその光の中に出て見れば もっと多くの拍手に迎えられた。

いつも 贔屓にしていた店の人達 近在のお屋敷に努める召使達 
昔ばあやが女中仕事を仕込んでやった沢山の娘達も どこから聞いたのか駆け付けていた。
それ以外にも沢山の人が居て いかに自分がこの地に長く暮らしていたか 
沢山の人に囲まれていたのか ばあやは今さらながら感動した。

乳飲み子を抱え、旦那に死なれ 頼る人のないまま ジャルジェ家に拾われたあたしが・・・

小さなメガネが涙に曇る。でも大丈夫。温かい腕を頼りに歩ける。

『ばあや 幸せになってほしい』

オスカルさまの願いだもの。必ず叶えなきゃいけない。

ばあやは皆に笑顔を見せた。

新郎新婦達を先頭に一同は 今度は徒歩で近くのレストランに向かう。
披露の宴はジャルジェ将軍の計らいで屋敷ではなく レストランを貸し切って行うことになっていた。
ジャルジェ家で行うと皆が働く事になってしまうからだ。
ジャルジェ将軍夫妻も今日は外泊の予定になっている。
自分達が屋敷に残ると 自分達のためにかなりの人数の使用人が 式に出られなくなってしまうからだ。
今屋敷には最低限の留守居がいるだけだ。その者達も交代で祝宴に参加することになっている。

「旦那様 本当に供をお連れにならないのですか?」
今朝執事は心配そうに尋ねた。
「たまにはわしも夫婦水入らずで過ごしたいと思うてな。」
「さようでございますか。」
まだ 何か言いたげな執事の顔を将軍は微笑んで見上げた。
その顔を見ると執事は何も言わず 礼をして下がった。

ジャルジェ将軍は今木の陰から夫人と花嫁行列を見ていた。
自分が参加してしまうと皆が気を使うのであえて出席しなかったのだ。

いつも自分のことは後回しにしてしまう、ばあや。

自分の孫や娘を痛いほど愛しているくせに わしやオスカルを優先してくれていた。

ついにはその大事な孫まで ジャルジェ家にくれてしまった。

「ありがとう。ばあや。これからは自分の幸せも味わってほしい」
聞こえる訳がないけれど 将軍は無意識に呟いていた。夫人がそっと寄り添う。
夫人にとってもばあやは愛する人を育ててくれたかけがいのない人。
ジャルジェ家に嫁いでから誰よりも自分の大きな助けとなってくれた人。自分の娘達を育ててくれた人。
本当なら少女のように駆け寄って その小柄な体に抱き付いて 
「おめでとう ばあや とっても綺麗よ!」
と叫びたい衝動が夫人の胸に湧き上がった。本当にばあやは綺麗だった。
ピンクのブーケを手に頬染めて。ふんわりまあるいふわふわの可愛い妖精みたいに。

「さあ、行こうか」
行列が過ぎてしまうと将軍が夫人に言葉をかけた。馬の背にまず夫人を乗せて自分も乗る。
「二人で馬に乗るなんて 何十年ぶりかしら」
「さあな。」
将軍が馬に合図を送る。馬はトットトットと歩き出す。ふたりは同じことを思い出していた。
行先は"あの日の泉"。あれから、自分達もばあやも年老いてしまった。
けれど人はいつからでも幸せになれるのだと 今日のばあやはまたひとつ教えてくれた気がした。
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