ひとしきり話終えると ラ・ファイエット候はグラスに残ったワインを一気に煽った。
「ところで ジャルジェ准将。君のことなのだが、しばらくは我が家に滞在してはどうかね。」
「ありがたいお言葉です。」
「そうだろう。君のお父上は存じ上げている。とても謀反を起こした娘を許すとは思えない。」
オスカルの指がシーツをギュッと握った。が顔は笑みを浮かべたままだ。
そんなことに気づかず彼はしゃべり続けた。
「君には以前 近衛を止めてもらった借りがある。遠慮しないでいい。」
「では 甘えさせていただきます。」
「分からないことはなんでもそこにいるリオネルに言いつけてくれたまえ。よく気のつく男だ。」
少し離れたところにいた背の高い男が軽く会釈した。
まだ若いようだが鋭い目が彼を侮ることを許さないように光っていた。

"リオネル、そういえばあの人形に良く似ている…"

オスカルは複雑な気持ちでくせ毛の男を見た。

「ここにいることも しばらくは伏せておいた方がいいだろう。
君とアラン君には十分な治療をして差し上げる。他に何か望みはあるかね?」
「では ひとつお願いがあるのですが。」
「何かね?」
「わたくしの従者が今 怪我をして市庁舎にいると思うのですが 
その者をここへ呼んで一緒に治療を受けさせてはいただけないでしょうか?」

目が見えないアンドレを放ってはおけない。
だが、囚われの身ではジャンまで呼ぶのはためらわれた。
ラ・ファイエット候がどこまで信用できるのかわからないのだから。
それに、ジャンにはパリに家族も友人も帰るべき家もある。
けれど、アンドレにはもう帰る場所はない。

オスカルはこの時自分では気がついていなかった。

自分がアンドレの愛を受け この上なく甘美になっていることに。

愛する人のことを胸に抱いて語る時、その目は潤み 口元は艶やかさを増すことを。

病床の美女。彼女がつつましやかにためらいがちに 願いを口にする様子が
いかに男の保護欲をくすぐるかを。

ラ・ファイエット候は息を呑んだ。彼女の事は何度も見かけたことがあるし  
アメリカ遠征のおりには フェルゼン伯爵からもその人となりを聞いていた。
さらに自分達議員を近衛隊から守ってくれた彼女の凛々しい背中を
ラ・ファイエット候はまだ鮮明に憶えている。

だが、今目の前にいるのは「氷の花」と謳われた男装の麗人ではなく、
儚げな蒼い顔に柔らかな笑みを浮かべ 自分を頼りとしている絶世の美女であった。

「た…たやすいことだ。明日にでも使いを出そう。」
「明日…」
オスカルは無意識に哀しげな声を出してしまった。本当は一刻も早くアンドレに会いたい。
「あっいや…すぐに すぐに 呼んで来よう!」
オスカルの顔に陰りがさしたのを見て ラ・ファイエット候は慌てて言い直した。
オスカルの顔に笑みが戻るのを見ると彼は颯爽とドアを開け
「待っていろ!」
そう言って出て行ったがすぐに戻って来て尋ねた。
「で、その従者とやらは名は何というのだ?」

窓の外では一度静まりかけた 群衆が再び声を上げ始めていた。ただ、
それは先ほどの「国民議会万歳!国民万歳!自由万歳!祖国万歳!」から
何故か「我らが父なるネッケルを!現官僚たちを罷免せよ!」と変わっていた。

"ネッケル?あの奇術師をか…"

オスカルは苦笑した。確かに平民出身で才能ある財政家で 
誰も手が出せなかった改革にもある程度の成果をあげたことは認められるだろう。
しかし、うぬぼれ屋でたえず自分を良く見せようと苦心している男なのだ。
"数字のマジック"を使い、あたかも財政が改善されているかのように装いながら 
その実、多額の借金を重ねていたのだ。
今フランスの抱えている財政赤字はもはや 小手先のマジックでどうこう出来るものなどではない。 

オスカルは目を閉じた。なにか 大きな時代のパワーを感じる。
そして、沢山の陰謀家たちがこのパワーを利用して 自分の利益にしようと目論んでいる。
しかし、これはあまりに巨大なパワーで下手に掴もうとすれば 身を滅ぼすことになるだろう。
そのことにまだ気づいている者は少ない。皆、無知な民衆など 思うさま操れると高をくくっているのだ。

スゥ…オスカルは再び 眠りに落ちた。
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