ラ・ファイエット候の言っていた医師は東洋人であった。
だがフランス語は問題なく話せるようだ。

オスカルを一通り見ると彼は難しい顔をした。
「結核に特効薬はないが 体に気を巡らせることで 
病を封じ込めることが出来る場合がある。後ほど薬を届けさせよう。」

"やはり あまりわたしに時間は無いのだろうか…"

オスカルは傍らにいるアンドレをちらりと見た。

「おお、そうじゃった。こちらの御仁も見てくれと頼まれていましたな。」
小柄な東洋人は小動物のようにクルンと移動して アンドレを覗き込んだ。
何やら色々試していたが 助手のこれも東洋人の男に大きなカバンを持ってこさせ 
中から大きな針を取り出した。

「ハリ」をオスカルは話には聞いていたが見るのは初めてである。
目の見えないアンドレは 何が起ころうとしているのか 全く気付いていない。
「うつむけになるんじゃ。そうそう それでいい。
少しチクンとするが わしが良いと言うまでじっとしているんじゃぞ。」

そう言うと長い針を次々と打ち込んでいく。
この光景にアランは「うわぁっ」と声を上げ、オスカルに駆けより小声で聞いた。
「隊長 あれは何です?大丈夫なんですか。」
「あれは『ハリ』と言うものだ。心配はいらない。」
とはいえ 何本もの針が刺さっているアンドレを見るのはやはり痛々しい。

すべての針を打ち終わると 東洋人は大きな砂時計をひっくり返した。

「どら、待つ間、おまえさんも看てやるか。」
「えっおれはいいです。」
アランは慌てて逃げ出した。
「はっはっはっ針は使わんよ。」
そう言うと 驚くほど機敏にアランを掴まえた。

アランの傷口はもう塞がっていた。
「なんじゃもう治っとるな。じゃこれをやろう。」
アランの口になにかを入れた。
「うっ」
暫くもごもごしていたが
「これ、上手いな。じいさん。」
嬉しそうに言った。
「ナツメじゃよ 酒に付け込んである。滋養強壮剤じゃ」
「ジヨウキョウソウ?」
「おお それこそ我が東洋医学の根本じゃよ。」
じいさん先生は嬉しそうに言った。
「病気になってから 治すのではなく 普段から体に栄養分をしみこませ 
先天的に弱い部分を強くし 元気な体にしようということじゃ。」
「ふーん 分かるような 分からんような。」
「分からんでいいさね。おまえさんは医者いらずのようじゃし。」
はっはっはっと笑った。

「ご老体まだお名前を伺っておりませんでした。」
オスカルの問いに 老医師は年に似合わぬ張のある声で答えた。
「そうじゃったかね。わしはリじゃ。リ・ショウカン」
「ではリ先生。アンドレの具合はどうなのですか?」
「彼は目が悪いようじゃが 見たところ 右目はなんとも無いようじゃ。
おそらく左目がさきに悪くなりそれにつられてというところかのう。」

「よくお分かりですね。その通りです。」
「これでも医者じゃからな。」
また、リ先生はコロコロ小さな体を震わせて笑った。

「もういいじゃろ。」
砂時計の砂がさらっと落ち切った。
針を次々に抜き助手に渡す。驚くほど出血がない。アランが不思議そうに近寄って見ている。
「アンドレ 痛くないのか?」
「ああ 全然。刺す時、何か触る感じはあるが その後は何も感じなかった。」
「わしは一流じゃからな。」
またリ先生は笑う。

「さ、目を開けてみい」
うつ伏せになっていたアンドレが
アランに助けられながら体を戻し、そっと目を開けた。

「?」

「見える ぼんやりだけど 何か見えるぞ!」

アンドレは飛び上がらんばかりの喜びようだ。
「ありがとう!リ先生!」
「これこれ まだ礼を言うのは早いぞ。今は一時的に見えているだけじゃ。」
「えっ じゃまた…」
「そうじゃ すぐにまた見えなくなるじゃろ。 長くて数時間というところかの。」
「そんな…」
「がっかりすることはない。
今見えているということは今後治療を続ければ
いくらか 視力を取り戻せる見込みがあるという事じゃ。」
「おれ 治る可能性があるのですか?」
「約束は出来んがな。」
「それでも 嬉しいです。」
アンドレの顔に笑みが浮かんだ。

「さて、わしは帰るとしよう。市庁舎にも回ろうと思っておるのでな。」
「あちらにも まだ沢山の病人がいるのでしょうか。」
オスカルは不安げに聞いた。
「わからん。わしもパリに着いたばかりでな。」
「そんな!今来たばかりで ラ・ファイエット候はあなたにあちこち診察に行かせようというのですか?」
「違う 違う わしが自分で決めたのじゃよ。途中の旅籠で怪我人が沢山出たと聞いたのでな。」
「ですが お疲れではありませんか?」
「はっはっはっ わしは普段から体を鍛えておる。
それより病人がいるのに放っておくほうが、尻がむずがゆくなるわい。
おっと これはマドモアゼルに失礼を」
「構いませんよ。わたしも じっとしていると尻がむずむずする方だ。」
「そうか そうか はっはっはっ」

笑いながら 弟子二人を引き連れてリ先生はパリ市庁舎に行くべく腰をあげた。
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