第2章 動き始めた軍神


3人の健康は回復していたが フランスの病は一向に改善されていなかった。
人々は相変わらず 餓えていた。フランスに舞い戻ったネッケルは熱狂のうちに迎えられたが
彼は結局のところ何も出来ず 不毛な報告書を大量に作ったにすぎない。

フランスの治安はもはや最悪であった。
国王が民衆の支持を取り付けたにも関わらず 議員達は王から様々な権力を奪った。
そのくせ国民議会は政治というものが理解できていなかった。
そもそも 誰に指揮権があるのかさえ 決まっていなかったのである。

行政が事実上停止したため 混乱しパニックになった民衆は 
パリのみならずフランス全土で荒れ狂った。
略奪、虐殺 暴行 デマが飛び交い 恐怖と餓えが人々を残忍な怒りへと駆り立てた。
そしてそれはとりわけ今まで自分達を支配していた領主や教会へ向けられたのである。
その結果、ますます無秩序な世界を生み出してしまった。

政治家というより 法律家あるいは評論家に近い国民議会議員は
この事態を収めるには法整備こそ重要と考え 議論を続けていた。
そして 人権宣言が8月26日に採択されたのである。

この輝かしい宣言が新たな社会秩序となり 
自然、国が収まると思っていたのは大きな間違いである。
議員達は政治を行うということを理解していなかった。
国はどんどん乱れていくのに 行き当たりばったりの応急手当的な対処しかしないで 
ひたすら憲法の草案に熱中していた。

「リオネル 君はどう思う?」

オスカルは彼が買ってきてくれる新聞やアジビラなどを見ながら尋ねた。
それらのものは はじめラ・ファイエット候に都合の良い物だけを
選んで渡されていると思っていたがそうではなく、
情報の信頼性がより高い物 社会的影響の強い物を選んで
持ってきてくれているのだとオスカルは気づいた。
それらを的確に選ぶことが出来ると言うことは
彼自身がそれだけ社会に関心があるということでもある。

「わたくしはそのような問いかけにお答えする立場ではありません。」
オスカルの問いに相変わらず無表情にリオネルは答えた。
「なぜ?君のご主人は皆が平等な社会を目指しているのだろう?
なら君には自由に意見を述べる権利があるはずではないか。」
ピクリ…リオネルの頬がわずかに動いた。
「まあいい。実はラ・ファイエット候に連絡をとってほしいのだ。
わたしはイギリスのカロンヌ氏に会いに行く。」

その場にいた全員が驚いた。
始めに口火を切ったのはアランである。
「どういうことです?隊長。」
「そうだ ちゃんと説明してくれ。」
アンドレも慌てて聞き返す。

「ずっと考えていた。今何をすべきかを。フランスに必要なのはパンだ。食糧だ。
どうすればそれが得られるのか その答えをカロンヌ氏は持っているに違いない。
出来れば彼をフランスに連れ戻したい。
それが叶わなくとも何らかの解決策をもらってきたいのだ。」
黙っていたリオネルが声を出した。
「カロンヌ氏にそれが出来ると?」
「彼は優れた財政家であった。彼がフランスにあった時 確かに経済は好転の兆しを示していた。」
「しかし、誰が彼の声に耳をかたむけると、彼が不人気なのは周知の事実です。」
「そうだ。だから 実際はネッケル氏にやってもらう。」
「ばかな!カロンヌ氏とネッケル氏は犬猿の仲ですぞ!」
いつも感情が無いかのように振る舞っていたリオネルが大きな声を出した。
アランもアンドレも驚いたが それ以上に彼と付き合いの長い侍女達はもっと驚き怯えた。
オスカルは全く動じず言葉を続けた。
「知っている。多分君以上にね。だがこれしかないだろう。勝算はあるのだ。」
にやりと笑う。

「ネッケル氏は今焦っているはずだ。そこに妙案を持ち込めば関心を示すだろう。
後は彼のプライドだけを外してやればいい。」
「彼は人一倍 見栄っ張りです。そんな簡単に外せるプライドではないでしょう。
とてもカロンヌ氏の案を受け入れるとは思えません。」
「確かにな。だがこの状況でパンをもたらす者が 
人々の賞賛をどれだけ受けられるかも分かっているはずだ。
こんなまたとない英雄になれるチャンスを 彼は逃したくはないだろう。
大丈夫。彼には自由主義を信条とする令嬢がいるのだ。」
「なるほど、スタール夫人ですね。
わたしは彼女の『ルソーの性格および著作についての手紙』を読みました。
確かに彼女なら 状況を理解し、父親に働きかけてくれるかもしれない。」
「どうだ。この計画やってみる価値があると思わないか。」
「しかし あなたをイギリスに行かせるわけにはいきません。
あなたは目立ちすぎる。フランスを出る前に捕まるでしょう。わたしが行きます。」
「それは無理だな。カロンヌ氏の説得は難しい。やはりわたしでないと。」

「だめだ!行かせるわけにはいかん。」
突然、聞こえた声に一同はドアの方を一斉に見た。
「めずらしいな リオネル。君がそんなに熱くなるなんて。」
ラ・ファイエット候はリオネルにつかつか近寄ると 彼にこう告げた。
「わたしがドアを開けたのも気づかないとはな。
もっとも、開ける前に白熱した議論が聞こえていたのでそっと侵入したのだがね。」
いたずらっ子の顔をして ラ・ファイエット候はリオネルに微笑んだ。

「オスカル 君のアイデアは素晴らしいが 君が今元気なのはリ先生の薬のおかげなんだ。
まだ、治ったわけではないのだ。」
「しかし、このままではいずれ…」
「そうだな。いずれ 内乱になり殺し合うか、外国に攻め込まれるか。」
あっさり ラ・ファイエット候は言い放った。

「いや…手はある。」
暫く考え込んでいたオスカルの声が重苦しい沈黙を破った。
「わたしでなくとも カロンヌ氏を説得できる人間がいた。」
「誰だ?その人は。」
皆がオスカルを見る。
「ジルベール(ラ・ファイエット候のこと)、君も知っているはずだ。ジェローデル大佐。」
「あの 近衛連隊長か!」
「そうだ。彼はカロンヌ氏と面識がある。
それに理論派の彼はむしろわたしより適任だろう。
確か彼は営倉入りになっているはずだ。」
「分かった。さっそく 陛下にお会いして彼の恩赦をお願いしよう。」
「頼む。わたしが彼に手紙を書こう。それと まだ気がかりなことがある。」
「何だ?」
「報道についてだ。」
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