明朝は夜明け前から 全速で駆けた。
昨日一日でカンを取り戻したジェローデルは宿駅毎に馬を替え 
恐るべきスピードでカレーの港まであと少しというところまでたどり着いた。

「明日はカレーにつけますが問題は船が出るかですね。」
「こればかりは 天任せだが、たぶん大丈夫だろう。」
夕食を取りながら ジェローデルは夜空を見上げた。雲は少なく星々が綺麗に輝いていた。

開け放たれた窓からは ひんやりとした風が入って来ていたが 二人は構わなかった。

それより 天空の輝く星を見ていたい。
暗闇に輝く星を。

「綺麗だ。オスカル嬢の瞳のように…」
ジェローデルの口から思わずこぼれた言葉にリオネルはクスッと笑った。
「おや?初めて笑いましたね。」
言われて彼は一瞬ドキッとしたが すぐにいつもの顔になり答えた。
「失礼いたしました。」
「謝ることではないでしょう。わたし達は友人だ。
楽しく談笑している方が自然だとは思いませんか?」
言いながら彼は自分からも笑顔を向けた。
「君の笑顔はチャーミングだ。」

"苦手だ この人。"

「大佐は女性を口説くのがお上手そうですね。」
リオネルはわざと心を隠すために擦れた答え方をした。
だが、ジェローデルはむしろ嬉しそうに笑った。
「おお!そうですとも上手ですよ。」
「だが、確か女嫌いと。」
「おやおや、宮廷内の噂まで君は把握しているのだね。
女嫌いでも女性を口説く技術はまた別でね。
宮廷で生きていくための必須科目のようなものだ。ひとつ伝授して差し上げようか?」

ジェローデルは優しげな瞳に妖しい光を宿し、
わざと顎を引いて自然と上目使いになるように角度を変えた。

リオネルはその目から 視線を外せなくなった。どうしてだか呼吸が意識される。

「ぷっ!」
「なっ!何笑い出してるんですか!」

突然笑い出したジェローデルにリオネルは真っ赤になって立ち上がって怒った。
「あははっ…ごめん ごめん まさか 目線だけでこんなに素直な反応をしてくれると思わなくてね。」
「…」

"くそ!からかいやがって!"

腹が立ったので そっぷを向いて、彼がきっと一番嫌な話題をわざと振ってやった。
「で、どうして 落とせなかったんです?シトワイヤン・オスカルを。」
「ははっ…その話も当然ご存じというわけか。言ったでしょう。こんなの技術だと。
こんな小細工で落とせるような人ではない。だが…いいとこまではいったのですよ。」
ジェローデルは"いいところ"をわざと艶めかしく強調した。
案の定、リオネルはこっちを向かないまでも 話に興味を持ったようだ。

「あの夜も星の綺麗な晩でした。」
ジェローデルは立ち上がり窓辺に腰かけ星を煽いだ。
そうすることで 自然に自分に背を向けているリオネルから横の位置に移動できた。
だが ジェローデルは彼を見ることなく話を続ける。

「君も知っているのだろう。ジャルジェ家最悪の舞踏会の夜のことだ。
ひっちゃか めっちゃかの会場から 高笑いを残して出て行かれたあの方を
わたしはそっと追いかけた。」
リオネルが横目でちらりと自分を見るのがわかったが 素知らぬふりで続ける。

「あの方の背中にわたしは寄り添うように近づき、
手を伸ばせば届きそうなくらいのところで優しくこう申し上げた。
求婚者はこれでわたし一人だと。そうしたらあの方は」
ここでわざと言葉を切りワインに手を伸ばす。
リオネルが目の端でその仕草をイライラ追う。
「あの方は『うぬぼれるな!』と一喝されましたよ。」
急に声の調子を変えて おどけた顔で天を仰ぎ 両手の平を上にして少し持ち上げた。

「ぷっははは…彼女らしい…」
リオネルは声を出して笑った。

"そうだ。その方が君らしいですよ"

「ひどいな。そんなに笑わないでください。話はこれからなんですから。」
「まだ、続きがあるのですか?」
リオネルはジェローデルの方に向き直った。
「もちろんですとも。ここからが本題です。」

ジェローデルの髪が風に揺れ 彼の香りがリオネルに届いた。
優しくさりげない スミレの薫り。

「わたしはオスカル嬢にさらに申し上げた。あなたが 痛々しいと。
女であることに甘えることなく男達と同等あるいはそれ以上であろうとするあなたが。」

ジェローデルの瞳が心持ち伏せられ 長い睫がそよぐように瞬かれる。
「あなたの苦しみをこの胸に受け止めて差し上げたい。
あなたが安心して安らげる場所になって差し上げたい。
どんな時もいかなる時も あなたを守りたいのだと…
わたしにしてはずいぶん素直に真摯に心を打ち明けたのです。」
リオネルは真剣に聞いている。
「あの方に嘘は通じない。あの時のあの言葉は 正しくわたしの真実の言葉でした。」
ジェローデルはリオネルを見た。彼はその視線を逸らすことなく受け止めた。

「誠が分からぬ方ではない。
彼女はわたしの差し出した手を受けて下さり、
それを手繰り寄せわたしはあの方を胸に抱いた。」
静かにジェローデルは再び目を伏せる。

"閉じられた目が泣いているように見えたのは錯覚だろうか?"
リオネルはジェローデルから目が離せなかった。

「熱い視線を交わし 愛の言葉を囁き 至福の内にあの方の唇にそっと触れたのです。」

"そう わたしの一番大切なあの方に…"

「わたしの人生で最高の瞬間でした。幸せで体中が満たされました。
そして この瞬間はこれからも長く続く幸せの始まりなのだと感じていたのです。
しかし あの方は逃げてしまわれた。」
もはやジェローデルはじらしたりしなかった。
いつの間にか彼はリオネルのためにではなく ただ 話し続けていた。

「夢から醒めたかのように 突然私を驚いたような目で見、
気配に気づいた鳥が急に飛び立つようにわたしから逃げてしまわれた。」

しばしの沈黙の中、いつの間にか鳴きだした虫の声だけが聞こえた。

「追いかけることはできませんでした。どうしてなのか、その時は分かりませんでした。
けれど 今なら分かるのです。わたしは怖かったのだと。
彼女の口からはっきり言われてしまうのが。決定的な言葉を。」

顔にかかった髪をすくい 顔を上げて天空を見る。
そのまなざしは届かぬものへの憧れが宿っているのか、
それとも星が映り込んでいるとでもいうのだろうか。煌めいて見えた。

「わたしは諦めきれずその後も毎夜のごとくジャルジェ家に通い続けました。
彼女の父君はそれは手厚くわたしをもてなしてくれました。よほど娘が心配だったのでしょう。
現にあの方はあの後 戦場に行かれ 重傷を負われました。
あの時わたしが彼女と結婚していればこうはならなかったでしょうに。」
ジェローデルは目を伏せた。

「オスカル嬢はその後もわたしを拒み続けました。
そしてある日ついにわたしは呼び出されたのです。
避けられない時が 終わりがきたのだと悟りました。
もちろん、見苦しいマネはすまいと心を決めてのぞみました。
それでもやはり辛かった。唯一の救いは 彼女の口から 
彼への直接的な愛の言葉を聞かずに済んだことでしょうか。」
「アンドレ・グランディエ…」
今まで黙っていたリオネルが小さく漏れ出るかのように呟いた。

「何故です?何故あの男なのですか?」
縋るような目でリオネルはジェローデルを見る。

「さあ 人の想いは理屈ではありませんから…
ただわたしも彼には助けられているのですよ。」
「大佐が?何をあの男に助けられるというのです?」
「わたしは 始め少しひねた子供でした。でもどういうわけだか、
あの男といるうちに治ってしまったのです。」
「そんなことが…」
「あるのです。理屈ではないのでしょうこれも。
何もかもが理屈通りではない。だからおもしろいのですよ。
そしてわたしは失恋から学びました。
人は傷ついてそれから立ち直った時 本当の強さを手に入れるのだと。」
「わかりません。傷つくのが怖いとあなたはさっきおっしゃったではないですか?」
「"その時は"です。今なら違います。鍛えなければ強くはなれない。
いつまでも守っているだけでは、弱くなるばかり、臆病になるばかり。
心を開かなければ 楽しいことも 嬉しいことも 入ってこなくなってしまいます。
世界はこんなに美しいのに。」
優雅に広げられた手に導かれるように窓の外を見上げれば 
星は先ほどよりも多くの光を放って輝いていた。

"フンッ 偉そうに"

自分はそういう世界の人間ではない。
失恋くらいの痛手で心を鍛えるだの、開くだの、
甘えたことが言えるような生き方はしてきていないのだ。

それでも、何故か嫌な気はしなかった。

むしろ油断すると うっかり心を開いてしまいそうになるくらいに心地良い。
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