翌日、ジェローデルが起きてみるともう日は高かった。

しまった!寝過ごした!

彼にしては珍しい事ではあるが それだけ疲れてもいたのだ。
営倉を出てすぐに いささか強硬な旅をしたのだから。

緊張もしていた。自分達が王命を受けてカロンヌ氏のもとへ急いでいることが
王の敵に知れ、襲われたら たった二人では手紙を守りきる自信がなかった。
ともかく 手紙を渡せた安堵感と 軽食とはいえ 
久しぶりの貴族の食事と暖かな寝床につい深く寝入ってしまったようだ。

素早く身支度を済ませると 隣室のドアを叩いた。
返事は無い。

開けてみると リオネルもぐっすり寝込んでいた。
ジェローデルはクスッと笑うと彼を起こさず部屋を出た。

階段を下りていくと 気が付いた召使いがお辞儀をして奥に引っ込んだ。
代わりに執事が現れ尋ねた。
「おはようございます。ジェローデル様。ただ今朝食をお持ちいたします。
お部屋で召し上がられますか?ただ今でしたら テラスも程よく日差しで温まっております。
そちらで召し上がるのはいかがでしょう?」
「そうするよ。」
そう言うと嬉しそうに執事は彼を案内した。
この執事をジェローデルは知っている。フランスにいた頃からカロンヌ氏に仕えていた。
初老の身でなれぬ異国での生活は苦労が多いのであろうと  すこし気の毒な気がした。

庭はさほど大きくはないが 良く手入れがされて花々が咲き競っていた。
おそらくこの館の前の持ち主が園芸好きだったのであろう。

運ばれてきた食事を楽しみながら "作られた自然風" を楽しんだ。
作られた美をジェローデルは否定はしない。敬意も払っている。
人間が作り出す芸術の素晴らしさを彼は十分に理解している。
美しいと素直に感じることもできる。

けれど どこかで "神がつくりたもうたそのものの美" により強く惹かれてしまう。
あの方に出会ってから…

何も手を加えずそのままの素顔で 
知り合って間もない少女は馬を駆って野を走っていた。
庭園に咲き誇る大輪の花々よりも小ぶりで
気ままに咲き乱れている野草の花畑を
ジェローデルは今も憶えている。

「綺麗な場所だろ。お気に入りなんだ。」
そういうと馬を止めてそこに降り立った。
すぐに彼女お気に入りの黒髪の少年が 敷布を引いて バスケットを開いた。
「アンドレ 今日は何を持ってきたのだ?」
嬉しそうにそれを覗き込む彼女の顔は いつもの軍人の顔ではなかった。

その笑顔はまぶしくて その笑顔が自分より 
アンドレに多く向けられるのが 悔しかった。
今でも思い出すと胸がチクンとする。

取り留めもなく 遠い昔の思い出に囚われてしまったのは 
花々が放つ香りのせいだろうか?

「おはようございます。伯爵。」
はっと 顔を上げると カロンヌ氏がにこやかに立っていた。
「おはようございます。美しい花に気を取られてしまっていました。
良く手入れがされているようですね。」
「ええ、もとからこの屋敷の庭を管理してくれている庭師が 
毎日熱心に通って手を入れてくれています。
一度彼に尋ねたことがあるのです。
どうして、そんなにこの小さな庭を愛してくれるのかと。」
執事が主人にお茶を運んできたのに 軽く礼を言って カロンヌ氏は一口啜った。
「フランスではカフェばかりを飲んでいたのですが 
こちらに来て お茶も飲むようになりましたよ。人間はなれるものですね。
そうそう 庭師でしたね。彼はこう答えました。

『以前 こちらにお住まいのお嬢様は お体が弱く外出なさることがありませんでした。
お嬢様は日に何度かこちらのテラスで日光浴をなさいました。
もちろんお嬢様がお出ましになる時は
おいらは作業を止めて 引っ込まなきゃならないんでごぜぇますが 
ある日お嬢様からお声がかかりまして 帽子を取ってお傍に伺いました。
遠くからでも美しい方でしたが お傍に行くと肌が透けるように白くて 
何ともいえねぇくらい輝いておりました。

「ねぇ 庭師さんこの花はなんというの?」
美しい細い指で本の挿絵を指さされお聞きになったので
「アザミでごぜぇます。お嬢様。」
そう答えました。
「そう このお花は庭にあるかしら?」
「今は無いですが ご希望なら探してきます。そこいらにある花ですんで。」
「そうなの?」
「はい。」
それがきっかけでございました。

それから、おいらはお嬢様にちょくちょくお声をかけていただいて 
お嬢様がお好きなようにこの庭を作り変えていきました。
秋には果実の収穫もご一緒にいたしました。
あの時の事をおいらは一生忘れねぇ。
だってねぇだんなさま お嬢様ときたら こぎれいな服を着た召使のお兄さんより 
小汚い野良着のおいらに抱いてくれっておっしゃったんですから。

抱き上げたお嬢様はほんとに羽のように軽くていい匂いがしました。
木のそばにお連れして そっとリンゴの実を握られ軽く引っ張られました。

「お嬢様リンゴは廻して下から上にとるのでごぜぇます。」
「こう?取れたわ!」 
嬉しそうに声をあげられました。
「重いわ とっても。」
そしておらの腕の中で そのまま林檎を齧られました。
「おまえもお食べ」
その林檎をおいらの口元に持ってこられましたので おいらも一口いただきました。
それは今まで食べたどんなものよりもおいしかったのでごぜぇます。

お嬢様はその冬に亡くなられましたが 
その臨終のときおいらをお呼びになり おらのまめだらけの手を握って
「ありがとう あなたはわたしの生涯 ただひとりのお友達でした」
そう言ってくださいましたよ。』

とまぁこんな話だったのですがね。彼は友人の庭を今も守り続けているのですな。」
「そうでしたか…。」

"わたしが 柄にもなくメランコリックな気分になってしまったのは 
庭に込められた想いのせいだったのだろうか…"
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