寂し過ぎた最後のベルサイユの日々よりはマシでありながら 
アントワネットの心は晴れなかった。
パリでは常に市民に見張られている気がした。
フェルゼンは 毎日 アントワネットの傍にいたが 
彼女の気鬱を晴らせずに苦しい思いをしていた。

そんな アントワネットの様子を オスカルは悲痛な思いで見つめていた。
そして ベルタン嬢を訪ねたのだ。
目深につばの広いベールの付いた帽子を被り 
ベルタン嬢の店を訪れた彼女は 豪勢な貴婦人の装いであった。
上客と見た店員は すぐにベルタン嬢にとりついでくれた。

「これは…」
ベールを上げて オスカルが顔を見せるとベルタン嬢は彼女の名を言いかけた。
それを制してオスカルは言った。
「頼みがあるのだ。」
「ともかく 奥へ。」
宮廷出入りのベルタン嬢は心得顔に オスカルを奥の部屋へと案内して人払いをした。

「初めに わたしが生きていることは まだ 秘密にしてほしい。王妃さまにもだ。」
「王妃さまにもでございますか?
王妃さまはたいそう あなた様のことを気にかけておいでですのに。」
「今はまだ 黙っていてほしい。
そこで頼みというのは他でもない。その王妃さまのことだ。」
「王妃さまのお役に立つことでしたらなんなりと。」
「ありがとう。あなたも知っている通り 
王妃さまはテュイルリー宮に移られて以来 お元気がない。」
「本当にお気の毒です。」

「いいえ そうではない。ベルタン嬢。気の毒などではないのだ。」
「えっ?」
「王妃さまは誰もが愛さずにはいられない 魅力にあふれたお方だ。」
ベルタン嬢も頷く。
「けれど 市民は誤解している。そして 王妃さまも市民を誤解しておいでだ。」
「どういうことでございましょう?」
「つまり 市民を毛嫌いして 宮殿に引きこもり嘆き暮らしていてはいけないということだ。」

「具体的にはわたしにどうしろと?」
「さすがは ベルタン嬢。話が早い。
トリアノン宮で王妃さまが お召しになっていた、田園風のファッション。
あれを王妃さまに勧めてほしいのだ。」
「ですが あれは 私的な用途向けですが。」
「あれがいいのだ。あれならば 市民も親しみを持つ。」
「そうでございましょうか?王妃さまの威厳を損なうことになりませんか?」
「時代が変わったのだ。ベルタン嬢。
豪華な宮殿で 大きな宝石を身に付けていることが権威の時代は終わった。
これからはより市民に近いことが好まれる。」
ベルタン嬢は考え込んでいる。

「ただし、ただ 農民と同じ格好をしたのでは あなたの言う様に 権威を損ねる。
だから あなたにお願いしたい。」
オスカルの言葉にベルタン嬢はニヤリとして言った。
「つまり 田園風ファッションのモードを作り 
王妃さまをファッションリーダーにせよということですわね。」
オスカルもニヤリと笑うと大きく頷いた。

オスカルはベルタン嬢の店を出た後、宮殿管理責任者のミック氏を訪ねた。
彼もオスカルの顔を知っていたので すぐに会見に応じてくれた。
以前からテュイルリー宮殿にはオペラなどから帰った王妃のための
ちょっとした休憩室があったのだ。
そこを王妃が利用した際に彼と面識を持った。

「オスカルさまがわたくしに頼みごととは?」
ここでもオスカルは自分の事を秘密にすること約束させ 用件を伝えた。

「何ですと?宮殿にアヒルをですか?」
「ああ、池を作ってアヒルを飼ってほしいのだ。
それから 園芸種ではなく 野草の花畑も。
そうすれば アヒルのエサにもなって 一石二鳥だろう。」
「はは〜ん。わかりましたよ。プチ・トリアノンのひながたですな。」
「そうではないのだ。プチ・トリアノンはあくまで作り物でしかなかった。
卵は王妃が来る前に綺麗に洗われ 農民たちは選りすぐった若い美男美女であった。
そうではなく 本当に自然に庭を作ってほしいのだ。
小規模な造園ならあなたの権限で出来るだろう。」
「それは確かに 建築物を建てるのではなく あくまで草花を植えて整えるくらいなら。 
池はまぁ ちょっと 口出しされるかも知れませんが。」
「もし 何かあれば ラ・ファイエット候が後ろ盾になってくださる。」
「候が?!ならば 可能でしょう。」
「よろしく頼む。」
オスカルはミック氏の手を握った。
工事はすぐに取り掛かられた。オスカルの指示通り 
この小さな庭は テュイルリー宮の南面セーヌ川沿いのフロール棟の一角に作られた。

そこはセーヌ川沿いを歩く市民から 建物の隙間から辛うじて 中が見透かせる場所であった。
というより 見えるようにオスカルが余分なカーテンやら調度品をどかせたのだ。
建物に囲まれた中庭に 小さな池といくつかの果樹。そしてアヒルが放された。
「仕上げは我々でやるぞ。」
「我々って…おれがやるんだろう。」
「そうだとも アンドレ。」
いつもながら悪びれもなく オスカルはにこやかな笑顔を浮かべた。
アンドレは その日 お嬢様のご注文の品を苦心して5匹も捕まえたのだ。
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